経営者に学ぶ/坂正範

坂正範 です。様々な経営者の理念や価値観をまとめていきます。

松下幸之助

松下幸之助(まつした こうのすけ)

 

和歌山県出身の実業家、発明家、技術者。

16歳の時に大阪電燈(後の関西電力)に入社し、7年間勤務した後、妻や友人5人で電球ソケットの製造販売事業を開始。

 

1918年に事業拡大に伴い「松下電気器具製作所」を創業。

1935年に「松下電器産業株式会社」へと社名変更。

1946年に「PHP研究所」を設立し倫理教育に乗り出す一方で、晩年は「松下政経塾」を立ち上げ政治家の育成にも力を注いでいた。

 

一代で築き上げた経営者でもあり、「経営の神様」として国内外でその功績が語りつがれている。

 

主な著書:

 

松下幸之助成功の金言365」

松下幸之助から未来のリーダーたちへ」

松下幸之助「一日一話」 仕事の知恵・人生の知恵」

松下幸之助夢を育てる」

松下幸之助の哲学 いかに生き、いかに栄えるか」

松下幸之助経営回想録」

松下幸之助若き社会人に贈ることば 自分の幸せは自分でつくれ」

松下幸之助 人を活かし育てるプロの教え」

松下幸之助日々のことば 生きる知恵・仕事のヒント(上・下)」

松下幸之助 私の行き方考え方」

松下幸之助発想の軌跡 経営の道・人間の道」

松下幸之助・経営の真髄」

松下幸之助散策・哲学の庭」

 

松下幸之助に学ぶ経営学

 

 

人と比較をして劣っているといっても、

決して恥ずることではない。

けれども、

去年の自分と今年の自分とを比較して、

もしも今年が劣っているとしたら、

それこそ恥ずべきことである。

 

どんなに悔いても過去は変わらない。

どれほど心配したところで

未来もどうなるものでもない。

いま、現在に最善を尽くすことである。

 

志を立てるのに、

老いも若きもない。

そして志あるところ、

老いも若きも道は必ず開けるのである。

 

イデアを生むと言っても、

口先だけでは生まれない。

これもやはり熱心であること。

寝てもさめても一事に没頭するほどの熱心さから、

思いもかけぬ、よき知恵が授かる。

 

商売とは、

感動を与えることである。

 

石の上にも三年という。

しかし、三年を一年で習得する努力を
怠ってはならない。

 

人には燃えることが重要だ。

燃えるためには薪が必要である。

薪は悩みである。

悩みが人を成長させる。

 

知識はなくてもいいんや
熱心ささえ
誰にも負けなかったら
必ず道は開ける。

 

「天は二物を与えず」と言うが、
逆に「なるほど、天は二物を与えないが、
しかし一物は与えてくれる」
ということが言えると思う。

その与えられた一つのものを、
大事にして育て上げることである。

 

ビジネスマンとしていちばん大事な心がけは、

人に愛されることである

 

誰でもそうやけど、

反省する人は、きっと成功するな。

本当に正しく反省する。

そうすると次に何をすべきか、

何をしたらいかんかということが

きちんとわかるからな。

それで成長していくわけや、

人間として。

 

「それは私の責任です」

ということが言い切れてこそ、

責任者たりうる。

 

人の心は
日に日に変わっていく。

そして、人の境遇もまた、
昨日と今日は同じではないのである。

 

とにかく、考えてみることである。

工夫してみることである。

そして、やってみることである。

失敗すればやり直せばいい。

 

たとえ平凡で小さなことでも、
それを自分なりに深く噛みしめ味わえば
大きな体験に匹敵します。

 

営者にとって大事なことは、
何と言っても人柄やな。

結局これに尽きるといっても、
かまわんほどや。

まず、暖かい心というか、
思いやりの心を持っておるかどうか
ということやね。

 

自らも楽しみ
人々にも喜びを与える。

大切な人生を
こうした心構えで送りたい。

 

何事もゆきづまれば、まず、
自分のものの見方を変えることである。

案外、人は無意識の中にも
一つの見方に執して、
他の見方のあることを忘れがちである。

 

商売であがった利益は、
法律上は個人のものであるけれど、
しかし実質的には
社会の共有財産である。

したがってその一部は自分の良識で
使うことが許されるけれども、
大部分は社会から預かった金である。

財産があることは、
それでさらに事業をしなければならん。

 

私には3つの財産がある。
それは学校へ行かなかったこと。
健康に優れなかったこと。
そして、決断に弱かったことだ。

だから、人が教えてくれたり、
助けてくれたりして成功した。

 

学ぶ心さえあれば、
万物すべてこれ我が師である。 

 

悩みはあって当たり前。
それは生きている証であり、
常に反省している証拠でもある。

 

熱心は、
人間に与えられた大事な宝である。

そして、この宝は、
誰にでも与えられているのである。

 

自分には 自分に与えられた道がある。
天与の尊い道がある。

どんな道かは知らないが、
他の人には歩めない。
自分だけしか歩めない、
二度と歩めぬかけがえのないこの道。

広いときもある。狭いときもある。
のぼりもあれば、くだりもある。

坦々としたときもあれば、
かきわけかきわけ汗するときもある。

この道が果たしてよいのか悪いのか、
思案にあまるときもあろう。
なぐさめを求めたくなるときもあろう。

しかし、所詮はこの道しかないのではないか。
あきらめろと言うのではない。

いま立っているこの道、
いま歩んでいるこの道、
とにかくこの道を休まず歩むことである。

自分だけしか歩めない大事な道ではないか。
自分だけに与えられている
かけがえのないこの道ではないか。

他人の道に心を奪われ、
思案にくれて立ちすくんでいても、
道は少しもひらけない。

道をひらくためには、
まず歩まねばならぬ。
心を定め、懸命に歩まねばならぬ。

それがたとえ遠い道のように思えても、
休まず歩む姿からは
必ず新たな道がひらけてくる。
深い喜びも生まれてくる。